ピクサー作品「トイ・ストーリー4」感想:人間の価値観で築かれたウッディの未来、4年の時を越えていま思うこと

“おもちゃにとって大切なのは子供のそばにいること”──新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズらの前に現れたのは、ボニーのお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう…。フォーキーを救おうとするウッディを待ち受けていたのは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会い、そしてスリルあふれる冒険だった。ウッディが目にする新たな世界とは?ウッディやバズら仲間たちの新たな旅立ちと冒険を描く「トイ・ストーリー」史上最大の感動アドベンチャー (Disney公式WEBサイトより引用

感情的になりすぎて、当時受け入れ難かった「トイ・ストーリー4」

久しぶりに「トイ・ストーリー4」を見直しました。

私はトイ・ストーリー世代で、1995年に公開された最初の作品から2019年の4作品目まで約25年間、ほぼ公開同時に映画館で観てきました。(厳密に言えば、1はDVDかもしれないとか、どうでもいい詳細に拘るレベル)ピクサー好きあるあるで、一種の信者のごとく、この作品を追ってきました。

その中でも、「トイ・ストーリー4」は消化するのにかなりチャレンジングな作品でした。当時の記憶と鑑賞メモを振り返ると、見終わった後の感想は「なるほどね」「今っぽい」「子離れできないウッディの更年期が暴走」「女性リーダーのマーケティング炸裂」「おもちゃ世界観崩壊」「寂しい」とかの否定的な感情論一点張りで、グチャチャグチャでした。我ながら、約25年のストーリーや蓄積を変革された衝撃で悲しかったんだなーと自分に同情します。許してください、慣れ親しんだのび太君がある日、ドラえもんやジャイアンたちを置いて、突然旅立つようなものだったんですw

当時の印象は、老害化するウッディ、愛されるのは既製品ではなくてゴミから作られたインスタントのフォーキー、あまりにも蔑ろにされた仲間たち、パッとしないバズ、急に女性リーダー代表みたいになったボー、人間界に存在し始めるおもちゃたち。なんとなく変革を描きたいことは想像でき、良かったところも沢山あり、面白く、飽きず、最後まで楽しみました。でも、やっぱりどこか完全に受け入れられず(ファンあるある、3までの思い入れ強過ぎて理解しきれなかったに近い現象)、公開時に映画館で一度見たきり、特に触れずそのままにしてました。

時を超え、改めて「トイ・ストーリー4」を見直したら大号泣

そんな感じで忘れかけてたのですが、今月6/16に公開したピクサー最新作「マイ・エレメント」を見にいき、全く響かない残念な内容だったので、ふと他のピクサー作品を思い出してました(「マイ・エレメント」の感想は最後に綴っておきますが、あまりお勧めしません)。

「トイ・ストーリー4」に再度たどり着いたのは、最近仕事で出会ったおじさまが理由です。

このおじさまは、私が人生で出会ってきた中で1番と言っていいほど、一世代前の昭和のおじさまです。昭和がキャラで面白いなら良いのですが、残念ながら恐らく世間でいう「老害」部類の方です(あまりこの括りを使いたくないですが、特徴そのままなので、分かりやすくそうしておきます)。こんな隠しもしない、典型的な老害で、ありとあらゆるハラスメントの塊みたいなおじさまに出会ったのも初めてなので、面食らいつつも、今の仕事の性質上避ける術がなく、正直会うたびに結構辛いので、本当は距離を置きたいところです。

でも、おじさま自身にも思いがあり(何度も聞かされる・・・)、そんな風に振る舞うのもきっと過去があるからだろうなーと考えていたときに、なぜかふとウッディを思い出しました。「そういえばウッディは1-3はスターで、4で一気に老害化してしんどくなったなあ。そもそも4は感情に身を任せすぎて、ちゃんと観れてないなあ。もしかして今なら、冷静に観られるかもしれない」と思い、改めて「トイ・ストーリー4」を見直しました。

結果、大号泣。全く異なる作品に見えたほどです。

あーーーーー恐るべし、ピクサー。完全にやられました。公開当時の4年前、感情論に振り回され過ぎたのが申し訳ないです。ごめんなさい。

トイ・ストーリーシリーズは明らかに、ウッディがアンディのお父さん的な存在になっています(分かりやすくアンディにはお父さんがいません)。色々調べていくうちに、子供が巣立った後の親の葛藤を比喩しているといった意見や、子育て後のウッディ第2にの人生を論ずるものや、おもちゃ世界からの巣立ちを描いたなど、いろんな考え方があり、どれもとても面白い!これだけ論ぜられること自体が凄過ぎるので、さすがピクサーです。

例のおじさまがきっかけで見たことから、私は今回サラリーマン目線で見てました。おもちゃは会社員、アンディやボニーがオーナー社長、おもちゃ達は同僚で、おもちゃの世界が会社であり固定観念。おもちゃ達は公開された1995年からしっかり年齢を重ねていて、そしてウッディは終身雇用マインドで真面目に仕えた定年前後のサラリーマンとして見ました。

この観点で見始めると、全セリフと行動が合点いってツボです。もちろん、違う関係性でも観ることができ、そして10年後はまた見方が変わっているかもしれないですね。

いずれにせよ、「トイ・ストーリー4」を改めて見直すきっかっけであり、新しい発見をたくさん得たので、老害おじさまに出会ったのも意味があったと思えるようになりました。

(まあ、ウッディほど良い人には思えないですがw)

「トイ・ストーリー4」はウッディの成長に一点集中

トイ・ストーリーシリーズのラインナップは以下です。

基本情報
  • 製作会社:ピクサー・アニメーション・スタジオ
  • トイ・ストーリー(1995年公開)- 永遠のライバル バズライトイヤーがやってきた
  • トイ・ストーリー2(1999年公開)- ウッディ誘拐事件 みんなで助け出せ
  • トイ・ストーリー3(2010年公開)- サニーサイド幼稚園の冒険 さよならアンディ
  • トイ・ストーリー4(2019年公開)- 未知のロードトリップ ウッディの未来へ
  • 主な声の出演 – ウッディ(トム・ハンクス)/バズ・ライトイヤー(ティム・アレン)

トイ・ストーリー4」はウッディの物語です。ジョシュ・クーリー監督がインタビューで、今回はウッディの成長にフォーカスを当てるため、当初作られた完璧なエンディングを大幅に替えたとまで話しています。当初のエンディングは、再会したボー・ピープが成長して変わるので、3のレベルを超えることはなく、またウッディだけが変わってなかった、と。1ではバズ、2ではジェシー、3ではアンディ、それぞれの人生を変えて成長させてきた、ウッディ自身の成長を描かねばならないと思ったそうです。

永遠に設定が変わらない、名探偵コナンとかドラえもんのシステムで終わらせないのがピクサーですね。

この監督は、トイ・ストーリーが最初出た時は15歳で、映画館で見ていた側でした。とにかく関わるスタッフみんな、トイ・ストーリー作品とキャラクターを愛しすぎているので、自信を持って考え抜いたと言えるそう。誰もが「トイ・ストーリー3」は完璧だったと賞賛されている中で、この続編をやることになったプレッシャーたるや・・・そんなことをこのインタビューで話しています。

このインタビューが一番内容が濃かったです。

窓際族から第2の人生、色んな人生に例えられるウッディの運命

今回の解釈で、ウッディをサラリーマンに置き換えた場合

  • トイ・ストーリー: 持ち主アンディ(社長)が所有するおもちゃ界(会社)のトップに君臨していたウッディに、ライバルとなるバズ・ライトイヤーが現れて揉めるものの、ワントップから2トップに転換する提携に合意
  • トイ・ストーリー2: その後ウッディの故障が重なり、ウッディ自身の市場価値に陰りが見える中、ヴィンテージとしての新たな価値(能力)が見出され、誘拐される(ヘッドハンティングされる)も、アンディ(古巣の社長)に仕えることを誓う
  • トイ・ストーリー3: アンディ(社長)が高齢化して引退するため、仲間と共に撤退方法について揺れ動くものの、最終的にはボニーに譲られる(別会社へ売却される)
  • トイ・ストーリー4: 新しい持ち主ボニー(新しい会社)で、全く遊ばれず仕事を失くし、窓際族となったウッディが、次の新たな未来を模索する

そんな流れになるか思います。

もし通例の親子で考えるならば、ウッディが、夢ばかり見ている伴侶=バズ・ライトイヤーに現実を見させ(1)、子育て以外の活躍の場を見出すものの改めて子育ての意義を見出し(2)、成長した子供が自分の元を離れ(3)、子育てが終わった後の第2の人生を模索する(4)、みたいなところでしょうか。

学生に例えたとしても、野球部エースだったウッディに転校生のバズが現れ、喧嘩したものの2トップになり(1)、怪我で故障が続くウッディに別の進路が提示されるけども、野球に携わることを誓い(2)、高校を卒業するにあたって、プロ転向と大学進学に悩むものの、最終的には部活の仲間がいくチームに残り(3)、試合に出られなくなったベンチのウッディが、新しい未来を模索する(4)、みたいにも解釈できます。

そんな感じで、自分のステージに合わせてシリーズを照らし合わせると面白いと思います。

弱者の反撃、おもちゃたちが大暴走

トイ・ストーリー4」では、おもちゃ達が人間界で大暴れします。人間の知らないところで、おもちゃの世界が広がっていることをずっと楽しんでましたが、今回は見過ごせません。ボニーの家族を危険に晒して、カーニバルを撹乱します。

よくよく振り返ると、確かにこれまでも追突事故を巻き起こしたり、色んな危害はありました。ただ、これまでは目的地にいくために起きた事故のように描かれていましたが、今回は目に見えてカーニバルに突っ込み、ウッディの未来のため、どんな危険を晒してでも突破していく意思を感じました。

これはきっと口を閉ざされていた人の反乱を表しているのでしょうね。実際、トイ・ストーリーシリーズの生みの親はジョン・ラセターです。MeToo運動の流れの中で、ジョン・ラセターによるピクサー女性社員へのセクハラ行為が発覚し、休業後にディズニーから退社しました。現状をぶっ壊していく現象が、ディズニーの覚悟なんでしょう。この解釈は当時も思って、それから4年経ったいま、口を閉ざされていた人たちの逆襲は日々起き続けています

ジョン・ラセターがいない中、どうなるのかなあと思いながら見に行ったのを覚えています。結果、革新性ではなくて、完全なる変革を目指した作品になりました。

カタルシス感がすごいです。でも・・・やっぱり・・・おもちゃの世界観とルールはそのままでもいけたんじゃないのー!って思ってしまっている自分もいます。ルールのある世界を巧みに広げている感じが好きだったのですよね。

理解に感情が追いつかない、このやるせない気持ちは健在!

Z世代の象徴、新キャラクターのフォーキー

今回の新キャラ・フォーキーは、非常に大きな意味を成します。ボニーがゴミから作り出した即席インスタント人形が、1番のお気に入りになります。実際このスプーン(Spoon)とフォーク(Fork)が合体したスポーク(Spork)は、アメリカでは割り箸のような扱いのものです。

事実として、子供はプラスチックが好きだなあとよく思います。どれだけ素敵な既製品のおもちゃを買ってあげても、結局なんでもないビニール袋に興味を持ったり、ペットボトルに入っている水に惹かれて永遠に振っていたりします。それに加えて、ボニーが自分で作ったおもちゃなのであれば、あれだけ愛着湧くわけも分かります。

サラリーマンに置き換えると、フォーキーは新卒社員、ウッディは教育係を担う先輩中途社員の位置付けになります。世代交代のお知らせです。そんなフォーキーをウッディが根気よく面倒を見ているのと裏腹に、フォーキーは自尊心が低くゴミ箱に戻りたがり(実家に帰りたがる)、ボニーのお気に入りでいる(出世)よりも、自分が役に立てること(社会貢献)に喜びを感じます

なんてZ世代!ウッディが団塊のベビーブーマー世代なので、対比が露ですね。(これだけのジェネレーションギャップを日々生きていることにも溜息ものですよ)

ゴミから作られたことは、そのまま直訳して「クズ」の意図がありそうです。そんなクズは、誰かが悲しんでいる時はしっかり寄り添い、弱っている人の気持ちをしっかり理解できる優しさを持ち合わせてます。長々ウッディの話も聞き、ギャビーギャビーちゃんにも「私の話を聞いてくれてありがとう」と言われているあたりが、身分や自慢話より、ただ聞いてくれる人が如何に大切かが表現されています

素朴なフォーキーは質問しまくります。「なぜおもちゃでいるのか」

新しい視点で存在価値を問いかける存在は、これまでにいませんでした。既製品のおもちゃたちは、「子どもの傍に寄り添うこと」が当たり前になっていて、疑っていませんでしたから。これも世の常です。

ちなみに、ウッディとフォーキーのジェネレーションギャップを表すシーンが面白かったです。ウッディが「メリーゴーランドで集合!」と指示して、フォーキーが「メリーゴーランド?Carousel(カルーセル)のこと?」って会話するところは、おじさまたちが「写メだよ!」って言って、若者が「え?写真のことですか?」みたいな会話に見えてツボでした。こういう会話はよくありますよね。

しかし見た当時は、かわいい既製品のおもちゃが蔑ろにされて、ゴミのフォーキーに乗っ取られた時は切なくもあり、悲しかったですよね。きっと、昭和のおじさまたちも、若い子を対峙する時、それくらいの不安と悲しさがあるのでしょう。

女性リーダーの象徴、しなやかなボー・ピープ

当時ボーを見た時は、ちょうど「アラジン実写版」を見た直後で、ディズニーが何がなんでも女性を強いリーダーにするため男性を無能にさせる印象を受けていたので、「あーボーも」と思ってしまってました。とにかく、ボー・ピープの性格や内面が急に肉付けされた衝撃もありましたね。

ただ、いま改めて見ると、割としなやかな印象を受けます。女性の腕力でいくというよりは、足りない筋力を埋めるかのように杖を巧みに使って駆け回り、困った時はしっかり人を頼りにすることができ、どんな時でも周りと良い関係を築けているのがしなやかです。今年2023年に公開された、マリオ映画のピーチ姫に近いですね。

ちなみに、「アラジン実写版」ジャスミンと「リトル・マーメイド実写版」アリエルなど、最近ディズニーが描く強い女性リーダー描き方は独りよがり過ぎると思ってます(あと男性を無能にし過ぎです)。ここの作り込み方レベルが全然違うので、やっぱりディズニーとピクサー間の垣根はありますね。

強いていうなら、ボー・ピープの声優がおばちゃん過ぎないだろうか・・・と一瞬思ったんですが、見た目が人形なだけで、月日は経ってるので、そういえば、おばちゃんなんですよね!w トム・ハンクスとティム・アレンはおじさん飛び越えて、もうおじいさんに近いのも忘れかけそうになってました。

能力と承認欲求を天秤にかける、ギャビーギャビー

ギャビーギャビーちゃんの描写は割と分かりやすいです。とにかく新しい音声器(能力)を入手できれば、絶対に受け入れてもらえると信じています。能力と承認欲求のバランスが歪ですが、これは誰もが思うことです。ウッディから奪ってまで手に入れた音声器をつけた後、否定された時の絶望っぷりは、誰もが身に覚えがあるはずです。

この能力があれば愛される、このスキルがあれば仕事につけるとか、関係性においてはそんなシンプルな話ではありません。求めている人がいるかどうか。必要とされているかどうか。

でも、ウッディの音声器があったから、子供に拾ってもらったときに話しかけることができました。音声器があるから愛されるわけではないですが、そこで話せるに越したことはない=スキルはあるに越したことはない、そんな印象を受けました。

これは親子セオリーでいくなら、子供を作れない年齢になったことの比喩でしょうね。少し生々しいかもしれませんが。

とはいえ、見た当時、ウッディの音声器が奪われた絶望感はすごかったですよ・・・その後、音声器が不要になったからっていうオチだったとしても。「トイ・ストーリー2」では、それが大事な価値でもありました。

ずっと可愛がっていたキャラクターが虐待された感があったことは否めません

何かを得るために、何かを捨てなければいけない。

あーーーー分かってはいるけどもー!

自分が必要とされる愛の場所へ向かう、ウッディの未来

ウッディは、最終的に仲間と別れ、子供に仕えることから卒業し、ボーと新しい人生を歩むことを決めます。

「トイ・ストーリー4」のオープニングで、譲られていくボーと一緒に行く運命を諦めるシーンがありますが、これはかなり男性的な目線描かれている印象です。昔よくあった、一緒になろうと思った女性を仕事のため諦めた、みたいな描写です。

ウッディがボー・ピープと残るシーンで、恐らくトイ・ストーリーファンは「えー!!おもちゃ人生を捨てて?!仲間たち置いて!?ボーに走るの!?大丈夫なの!?生きていけるの!?」っていう不安とショックに襲われたでしょう。当時、私もそのうちの1人だったので分かります。

だって、ウッディはこれまでどんな困難があっても、みんなと一緒にいることを最優先してきた乗り越えてきたのですから。私たちの親心も揺さぶられました。

ユートピア世界のループが幕を閉じ、短編映画でさえセピア色の思い出になってしまう悲しさ。

でも、仲間のところに戻ったとしても、もうウッディはボニーに必要とされていない。彼はこれまで、ずっと従順に仕えてきました。今回のフォーキーに対する面倒見の良さを通して、如何に彼が仕事を全うするかがしっかり描かれていたのも、忠誠心を強調するためです。

そして、ギャビーギャビーちゃんに音声器を譲ったのも、おもちゃの世界と仲間との生活の卒業を意味してるかと思います。学校の部活の先輩がバットを置いていくような、定年前の人が最後にナレッジとスキルを置いていくような、親がもう子供を産めない年齢になるといったような。

そんな一生懸命尽くしてきたウッディが、慣れ親しんだ環境を捨て、最終的には自分を必要としてくれるボーと愛を育む人生を選んだことが、彼の大きな成長です。

最後に行き着くところは、愛

これはディズニー&アメリカらしいですね。

To Infinity and Beyondの新しい価値

これまでの25年間の絆をを信じ、次の未来へ踏み出したウッディの覚悟は、最後バズの一押しがあったからこそでした。

そこで最後のセリフ「To Infinity and Beyond(無限の彼方へ、さあ行くぞ)」が効いてきます。これはバズの決め台詞であり、シリーズの最初から大事なシーンでもコミカルなシーンでも、ずっと大事に使われてきたセリフです。

日本語は直訳ではなく、キャッチーにしなければいけないことから仕方ないと思いますが、「トイ・ストーリー4」の場合は、英語の方が意味を成します

バズが「To Infinity(無限の彼方へ=未知の世界へ)」とウッディを後押しして、「And Beyond(その更に向こうへ)」をウッディが言うことで、今まで2人が一緒に見てきた「Infinity」のもっと先にある、未来へに向かう覚悟のパンチが効いています

日本語版を見たことがないのですが、「無限の彼方へ、さあ行くぞ」のままでも伏線回収はできて、覚悟も表現できるので概ね十分98点ですが、ピクサー製作者がウッディにこめた「その先の未来へ」までのあと2点、その分を加味するのは難しいかなと思います。

ああ、号泣。

この観点で見ただけで、かなり完璧な仕上がりです。これを親の子離れと考えても、定年退職、学生卒業など、どう捉えても、どう見たって、シリーズ全てに置いて「To Infinity and Beyond」ほど完璧なセリフはないです。

ああ、号泣。

トム・ハンクスは、トイ・ストーリーの音声収録は辛いと初期の頃から言っていました。吹き込んだ後の仕上がりを見て、「今まで自分が出演した映画で一番良いかもしれない」と語っていたことに嘘はなかったです

年齢を重ねてから、作品を振り返ってみることの大切さ

正直、ここまでの内容は「いやいや、なーにを今さら!公開時に分かることでしょ」って思われる内容だと思います。でも、このシリーズは冷静に考えられないほど、心情アタッチメントを生んだ傑作でもあるので、私みたいに当時の感情論のまま止まっている人もいると思います。

ぜひ、もう1回見てみてください。ピクサーは製作者の実体験をベースにストーリーを作ることで有名です。自分も体験や年齢を重ねた後だからこそ、楽しめる見方があると思います。

「トイ・ストーリー4」は親子として重ねて見てもよし、サラリーマンに例えてもよし、高校の友達関係に例えるのもよし、今の人生ステージに合う見方をしながら、ウッディの判断が如何に未来に向かっていたかを感じられるように見ると良いと思います。

学生の頃見た作品をいまの年齢でもう一回見てみようかなと思うきっかけになりました。今なら心響く作品に出会えるかもしれない。その可能性を改めて教えてくれてありがとう!って言いたい作品です。

2023年ピクサー新作:「マイ・エレメント」

“もしも”火・水・土・風のエレメントたちが暮らす世界があったら…? 『トイ・ストーリー』の“おもちゃの世界”、『モンスターズ・インク』の“モンスターの世界”、『ファインディング・ニモ』の“海の中の世界”、『インサイド・ヘッド』の“頭の中の世界”、『リメンバー・ミー』の“死者の世界”など、ユニークでイマジネーションあふれる[もしもの世界]を舞台に数々の感動的な物語を観客に贈り届けてきたディズニー&ピクサーの最新作は、 “エレメントの世界”を描いた『マイ・エレメント』。 火・水・土・風のエレメント(元素)が共に暮らす都市エレメント・シティを舞台に、だれも知らないイマジネーションあふれる色鮮やかな世界での奇跡の出会い、予想もできない驚きと感動の物語が始まる。 ふたりの距離は近くて、遠い。 正反対のふたりが起こす、奇跡の化学反応。 本作の主人公は“火のエレメント”エンバーと“水のエレメント”ウェイド。 様々なエレメントたちが共に暮らすエレメント・シティで、アツくなりやすくて家族思いな火の女の子エンバーと涙もろくて心やさしい水の青年ウェイドは性格だけでなく、その気になればお互いを消せる(!?)性質を持ち、全てが正反対の意外なふたり。 正反対のふたりの出会いは“エレメントの世界”にどんな化学反応を起こすのか?(Disney公式WEBサイトより引用

ピクサーファンなので、アメリカ公開当日に映画館へ行きました。

ビックリするくらい、寄せ集めの映像とストーリーです。え?ピクサー、これで良いのか?と不安になったほど。もしかしたら、ピクサーのスピンオフ扱い?恐らく、ピクサー本丸ではないですね。チーム拡大とか世代交代頑張ってるところかもしれません。

映像は綺麗で楽しめますが…これであればインサイドアウト、ソウルフルワールド、遡ればモンスターズインクでも楽しめます。あまりにも見た事ある画角で譲ってもらったのかな?とか勝手に考えちゃったり。他の方の感想見て、「ズートピア」っぽいという意見があったのですが、確かに!!それであれば、「ズートピア」の方が断然クオリティがいいので、そちらをお勧めします。

また、ストーリーはこれでもか!ってほど、手垢付きまくりの内容です。衝撃です。古くからずっとある典型的な恋愛もので、起承転結は読み通りに進みます。逆に深く考えなくていいのかも?とか思いますが、それであれば2時間は長い…長過ぎる!!とはいえ他のピクサー映画と変わらないのだと思いますが、長く感じちゃいました。子供にとっては、昔からあるストーリーとか関係ないからありなのか?と思ったりしますが、映画館にいた周りの子供たちは完全に途中で集中力が切れていました。

全体的に、キャラクターの見た目があまり好みでなく、表面的なところ以外の要素が描かれず、脚本が弱く流れが強引で、拘っていそうな設定すら活かしきれずの印象です。ピクサー特有のコメディ要素も殆どなかったので、残念ながらこの作品のファンにはなれなさそうです。

最後ハッピーエンドになったところで、映画館にいた親子が全員拍手して盛り上げていたのが面白かったですね、さすがアメリカの映画館です!

少し調べてみたら、予算がトイストーリー4と同じようなんですがマジで?スタッフも声優も無名で、クオリティもなく、マーケティング活動もしていなかった印象なので、予算配分が気になり過ぎます…でも結局はそこに携わる人材のクオリティなんですよね。分かってはいるものの。

気持ちと情報の整理がついたらまた更新します!感想変わるかなあ…