The Little Mermaid 映画「リトル・マーメイド」実写版感想:映像、時代、ダイバーシティ、女性の描き方 ディズニー節炸裂

『美女と野獣』『アラジン』のディズニーが、あの不朽の名作『リトル・マーメイド』を全世界待望の実写映画化! 世界中から愛され続けている人魚姫アリエルを演じるのは、期待の新人ハリー・ベイリー。 アカデミー賞に輝く「アンダー・ザ・シー」などで知られるディズニー音楽のレジェンド、アラン・メンケンと『モアナと伝説の海』の楽曲を手掛けたリン=マニュエル・ミランダの黄金コンビにより、 ディズニー・ミュージカルの新たなる金字塔が誕生する。(公式WEBサイトより引用

https://youtu.be/i_h63bs6hZ0

感想:楽しめた、でも言いたいことは山ほどある

ディズニーの旧作アニメの実写版映画は避けがちで、ウィルスミスの「アラジン」を見てからは楽しむ量より不納得の量が増えてしまったので、更に避けるようになってました。

どうしたって、アニメの想像力やクリエイティビティを超えることはできないことと、ディズニーがやたら手を加えがちなので、旧作の素晴らしさを心に留めておくことにしてます

ただ、今回のリトル・マーメイド実写版は話題性もあり、小学生時代から何回見たか分からないほど大好きな作品でもあり、ディズニーは海や水を描くのは得意技と思い、ある程度期待は裏切られるであろう覚悟を胸に、意を決して観に行きました。

アメリカ公開2日目に4DX 3Dで見たので、映画館は10代の女の子や、小さいお子さんを連れた家族で溢れかえってましたね。

上映時間2時間15分。いくら海の映像をアバターのようにアトラクションにしたいからといっても、この内容にしては長い!!長すぎます。4DX環境だと更に長く感じました。

それでも、全体的には楽しめました。原作アニメが不朽の名作となっているいま、ハードルが高いことを加味して、この作品を単体で考えると楽しめた部分は沢山ありました。綺麗な海、素晴らしい主役の歌声、新しい設定や新曲、魅力的なところは沢山ありました。でも、言わずもがな納得できないところは沢山あります。

なので、「楽しめた、でも言いたいことは山ほどある」それが率直な感想です。

演出なく深掘りされなかったキャラクターたち、CGと歌声で乗り切る力技

知り過ぎているキャラクターのはずなのに、なぜかキャラクターが見えきれず、愛着も湧かず、没入できないのが今回1番の不快点でした。

私はいつも作品を見た後、色んなプロモーション活動やインタビューを見漁るのですが、リトル・マーメイドのインタビューは「選ばれた喜び」は語るものの、作品に対しての熱や想いを感じられるものが少なかったです。キャスト全員誰もそれぞれのキャラクターを深掘りをしていないように見えます。

ここが、いまいちキャラクターに愛着や没入出来なかった理由の一つかな、と後から思いました。熱を感じなかったんですよね。

とにかく原作を裏切らないこと、CGで魅了すること、主役ハリー・ベイリーの歌声でカバーすること、これに集中したのでしょう。よって、プロモーション活動も一辺倒の内容になったのだと思います。

どのインタビューを見ても、ハリーベイリーの歌声が如何に美しく、オーディションを圧巻した話しか出てきません。

そのほかはCG撮影はどうやったか、如何にトレーニングが過酷だったか、どうメイクが特徴的だったか、どうそれっぽくキャラクターに似せて出来たか等で盛り上がっていて、どういう想いで作品に挑んだかやキャラクター自身の内面やキャラクター同士の関係性などは語られていません。監督方針として、敢えて解釈なしとした可能性もありますね。

名作であり、キャラクターが認知されている前提だからでしょうけども、マリオ映画ではキャストがそれぞれの想いやキャラクターのことを語っていました。「キャラクターのどういった性格が自分に似てるか」「この場面で、このキャラクターはそんなこと思わない」など、そういった深掘りやキャラクターへの拘りが、マリオ映画内で熱を保てた一つの要素になっているのではないかと思います。

よって私が今回の実写版にそこまで愛着湧かないのは、旧作アニメファンだからとか設定変更や人種云々ではなくて、凝った映像がストーリーラインをなぞったものの、演出なくキャラクターが描かれていない作品だから、です。

ディズニーの十八番:時代とダイバーシティーを意識し過ぎて雑音生みまくり

公開前から主役アリエルが黒人になったことで、色んな反感や反応がありましたが、見ていただければ分かります、問題は全くそこじゃありません。寧ろ、アリエルは適役だった数少ないキャストでした。

主役アリエルは適任、少女感は薄め

アリエル役を担ったハリー・ベイリーの歌声は評判上々ですが、まさしく想像通りの美声を持つ彼女、存在感や雰囲気も含め、彼女がアリエルであることに間違いありません。適任です。彼女こそアリエルです。

演技力があまりない印象は受けましたが、正直キャスト全員に演技力は感じなかったので、ブルースクリーン前でテニスボールを見ながら演技しなきゃいけない等のCG撮影環境の難しさは紐づいているようにも思います(と信じたい)。

ただ、ハリー・ベイリーが「The Little Mermaid」の「リトル」を表すか?といったら疑問です。成人女性には見えるので、原作にあった16歳の少女が人間界に憧れているというより、大人がモラトリアムに浸ってる感は否めません

ただ、歌声を優先するとするなら、私はこのキャスティングに大賛成です。

お父さんトリトン王が陰湿過ぎる

まず、この作品においてお父さんの存在は欠かせないですが、今回の実写版お父さんトリトン王は、まあジトジトヌメヌメしてます。最後のお見送りで水上に浮かぶシーンほど、黒く苔のようにヌメっているものもない。

原作アニメのお父さんは、海の王である貫禄があり、突き抜ける正義感を象徴する白髪を靡かせながら、慈悲深い力強さを持っています。

だからこそ、娘の旅立ちを見送りながら美しい虹をかけるシーンが映えて泣けるんです。幼心にこの虹のラストシーンはとても覚えていました。

実写版のお父さんに虹は出せません。人間界をジトジトと恨み、拗らせていて、ずっと怒っていて、子を心配して見守りたい親というよりは自分の自尊心のために動き、最後アリエルを人間にしてあげるのも、アリエルの望みを叶えるためというよりは自分の子離れ成長のためっていうような、お父さん目線且つ自己中心的に描かれている印象です。

でも、その方が現実的なお父さんなのかもしれない、と思ったり。自分でも書きながら「どこまでリアリティが必要なんだろうか?」とグルグル問いかけています。

https://youtu.be/eoIo14EIIG4

人魚界のお姉さんたちと新キャラ・エリック王子母の設定がノイズ過ぎる

そして、そのお父さんの娘たちである、人魚界のお姉さんたち。これが正にディズニーの十八番、ダイバーシティーを意識し過ぎて雑音です。

お姉さんたちが、白人、黒人、アジア人、ヒスパニックなど色んな人種で構成されていましたその構成がダメとか言っているのではないです。ただ、そうなると「お母さんは一体何人いるんだ?」「お父さんは何人の女性といたんだ?」「全員養子なのか?」「誰がアリエルと同じお母さんなんだ?」とか含めて、説明もない中、ストーリーに一切関係もない雑音がブワーッと発生するので、その設定自体が邪魔に感じてしまいます。

お姉さんの数を減らす、とか。お姉さんという定義を変えて親族にする、とか。はたまた寂しいけれど、今回そんなに出番も重要な役もなかったので、カットにする、とか。それはそれで違和感あって文句言っていたと思いますがw、今回のように昔の設定のまま、ただ一旦人種変えておきました感はなかったように思います。

養子ネタで続けると、エリック王子のお母さんがこの作品で登場するのですが(この役が必要だったかは甚だ疑問)、お母さんがアフリカ系アメリカ人でエリックを養子に迎えた設定になってます。

今回の実写版はカリビアン設定なので、ギリギリ受け入れられるものの、これもお姉さん人魚たちと同じで「あれ?お母さんいたの?」「なんで養子なの?」「本当のお母さんはどこ行っちゃったの?」「旧作にいなかったのに、なぜお母さんがいるの?」とまた要らぬ雑音が入ってきます。

今回の作品が、オリジナルの新作なのであれば、分かります

ただ、知れ渡り過ぎている旧作アニメの設定で、ストーリーに関係ない雑音を入れてくるところが、世で話題のポリティカルコレクトネス(ポリコレ)やダイバーシティを意識し過ぎていて、ディズニーがやり過ぎなのではないかな?と思っています。もう少し丁寧に組み込んで欲しいなあと。

この感覚自体を差別と言われると、過去の作品を否定していかなければいけないので辛いです。別の作品とするのであれば、今回ほどストーリーを似せなくて良いわけで…

私にとって、旧作アニメは時代劇やサザエさんのようなものです。その時代に受け容れられていた設定、ストーリー、キャラクターがあります。多少細部のアップデートは分かります。大河ドラマやサザエさんも時代に合わせてエピソードをアップデートさせてます。

その時代の作品は、シェークスピアや古典落語のように、変えずに語り継がられるものはあってもいいのではないかと思っているだけなんです。

もし新しいダイバーシティや世界平和のメッセージ性を入れるなら、新作に盛り込んでいって欲しい思い・・・

無力すぎる男性像、暇人に見えるエリック王子

ちなみに、今回も王子は無力で待つ側、エリック王子ソロのオリジナル曲で思いっきり「Come and Fine Me(私を探しにきて)」と大声で歌っているぐらい受け身ですが、毎回このパターンなので、もうこれが現代の王子なのでしょう。若き日のライアン・ゴスリングを思い出す、ジョナ・ハウアー=キングです。

お城をウロチョロしながら、自分を救ってくれた女性探しは執事に任せ、過保護な親を振り払いながら、突然現れたアリエルと仲良くなって、街に遊びに行くエリック王子を見た印象:「暇人過ぎないか?」

まあ、王子様なので優雅に暇でしょうけど、それこそ時代に合わせて、王子としてもう少しミッションや個人の意思を持ってもいいのではないでしょうか。ただただ自由を求めてる主人公、昔でいうとジャスミンっぽさがあるのですが、これでは昔のプリンセス像と変わらないですよね。

そんなぼんやり描かれている王子様であっても、流石にラストのウルスラと戦うところは、旧作アニメ版通りエリック王子にトドメを刺して欲しかったです。今回の実写版では、エリックはただただ船のロープに捕まって風に煽られているだけで、人魚に戻ったアリエルが這いつくばりながら、船の舵を切ってます。

ここまで女性が1人で戦わなければいけない、辛い世界なのでしょうか?

男性は女性を救ってはいけないのでしょうか?

女性を強い主人公に見せるためには、男性を無能にしなければならないのでしょうか?

男女がともに協力しあって、未来を勝ち取る未来の方が明るくないでしょうか?

今回であれば、水の中では息が出来ないエリックが、いつも助けてくれたアリエルのために前に出て、物理的女性より力強い腕力で、王子の方がやり慣れている船の舵取りをする、と捉えれば合理的ではないでしょうか?

最後までアリエルを主人公として際立たせて、全ての運命は私が司っている!という強さを出すことに意識し過ぎたのではないかと思っています。(声のネックレスをウルスラから奪う場面は、アリエル自ら取っ組み合いになりながら取りに行くところは、まだわかりました。旧作アニメは、アリエルは何もしなさすぎるので)

エリック王子よ、また時代が進んで「男らしく!」と叫ばれる日が来るかもしれないです。その日まで!

アリエルが地上に憧れる美の概念

また、アリエルが地上に憧れている理由は、旧作アニメに出てきますが「(フォークや集めた骨董を見て)こんな美しいものを生み出せる人間界は素晴らしいものに違いない」と信じているからです。

人間が創り出す美や芸術性に惹かれているからだと捉えています。こういった好奇心を持っているからこそ、彼女にとって美しい王子様に一目惚れすると思っていまして、美や芸術性の意識が高いところが気に入っていますが、今回その観点は完全に取っ払いです。

ルッキズム問題を意識しているのでしょうか。美しいものを美しいと思う気持ちを表現できなくなるのは、とても寂しいです。

この概念取ってしまうと、どうしても地上にいきたいアリエルがエリック王子を利用している、っていう風に見えかねないと思います。

ただ、エンディングを結婚式としなかったのは、とても分かります。今回のストーリー展開で、急に結婚されても戸惑いますね。昔のプリンセスおとぎ話ではない、ということも伝えたいのでしょうから、そこは納得です。

衝撃のフランダーとセバスチャン、ただの魚とカニ

そして、残すは衝撃のフランダー・セバスチャンでしょう。この2キャラクターはこの作品に欠かせないので、どうやるのかと思ったらこれです。

そもそも、セバスチャンってロブスターかザリガニじゃないの!?っていう衝撃でしたが、どうやら元々の設定がカニだったらしいです。知らなかった・・・

もう、こんなことになるならw、60年代メリー・ポピンズのペンギンのように、ピクサー的なアニメで入れることはできなかったのでしょうか?

この描写は「実写」に拘っているだけで、キャラクターたちを全く汲み取っていないです。忍びない。

アリエルの友人的な温かみも出ず(応援はするけども、アニメのように助けてくれる場面はほとんどない)、表情もない、コミカルな動きもない、ただのカニと魚がずっとバタバタしていて見ていられない気持ちでした。

でも、子供たちが海に行った時、魚やカニを見て思い出してもらえるかもしれない。お友達として捉えて自然を意識してくれるかもしれない。

と、ポジティブに考えたりしましたが、水族館では子どもたちがクマノミを見てニモ!って言ってるからなあ…

鳥のスカットルはアニメ版でもコメディ担当ではあったので、位置付けは分かります。セバスチャンとフランダーを超える存在にはならないはずなんですが、鳥の方が動けて口もあるのでメインになったように見えました。超リアルな鳥ですが、なぜか水中で会話できる設定です。

人間界でのアリエルが奴隷描写で納得できない

そして、今回一番納得できないのが、人間界に入ったアリエルの描かれ方です。

漁船の網で海から拾われ、歩けず、話せず、ブラシで体を乱雑に洗われ、コルセットで体を締めつけられ、頭にターバンをさせられた時は、昔の戦争映画で出てくる奴隷娘の描かれ方でした。旧作アニメでは、王子が海岸で見つけて、女中が子供の面倒を見るようにお風呂に入れて世話する程度です。

今回のアリエルは黒人です。歴史があるからこそ、こういったシーンの取り扱いは難しいですが、原作にない描写を加えてまで、この描写になったということは、意図があるに違いありません。

意図があるとしたら、「カリビアン設定に寄せた」「時代背景を網羅した」「歴史を再現した」?この描写を残すことがアイデンティティなのでしょうか?でも他の点においては、時代や設定は割と無視されています。

寧ろ私が過剰意識していて、白人だったら違和感無かったのかと考えてみましたが、敢えて追加されてるってとこがやはりネックで。カリビアンの市場や、陽気な音楽を奏でているミュージシャンも黒人が多く、なぜかそこはあまりミックスされていなかった印象なんです。

エリック王子とお出かけして駆け抜けたり踊ったりしてるシーンは、アリエルのホームに見えて、王子が迷い込んでしまった側に見えました。

散々キャラクターや旧作アニメの設定を破壊してまで、現代に合わせたダイバーシティを気にしたような動きをしているように見せて、ここだけはリアリスティックに黒人=奴隷を想起させるようなシーンに仕立てるのは、時代に合わせたからで合点行くのでしょうか?

旧作アニメにはないので、この描写自体が根深く残る差別ではないでしょうか。

私の勉強不足なのかと思うのですが、ここら辺のシーンは相当怒り心頭で、しっかり見れていないんです。怒りを鎮めたいので、誰か教えてください!歴史的に何かを象徴したいはず・・・と信じたい。

映像アトラクション:最初で最後の4DX視聴

でも映像的に楽しめるところは楽しみました。ちょっと不自然なCGは多いものの、海の中でユラユラと揺れる髪の毛とか、泳いでいるシーンのアクションとかも綺麗でした。クラゲの描写は気持ちいですね。海の中を駆け抜ける感もありました。

ただ、ずーーーーーっと揺れている4DXの座席、苦痛です。

酔いそうだなーという理由で4DXを避けていたものの、なんでも経験!と思って今回試しました。

席がかなりの角度で揺れるので、揺れるたびにズリ落ちそうになって、毎回這い上がるように座り直していたことや、若干普段の席より狭く、直角なのが最早窮屈に感じます(日本に帰れるのか問題)。空気砲や水のアトラクションもそこまでインパクトなく、風に関しては色んな食べ物の匂いを運ぶ機能を果たしてしまってました。緊迫のシーンで、ホットドッグやポップコーンの匂いが急に噴射された気持ち・・・。

そして、最後には、席がいちいちブーブー揺れるのが鬱陶しくなってしまい…だって2時間15分ですよw。ジェットコースターは1分とかなので楽しいですけど、2時間強ずっと揺らされるのは後半苦痛になってました。

まあ、でもこれはいい年齢になった私の感想です。子供やアトラクション好き若者はエンジョイできると思います!実際キャーキャー盛り上がっていて、そういった体験が楽しいんだろうな、と。あと寝がちなお父さんとかはいいかもしれないです。私はIMAXや3Dを中心に、良質な音響、大きいスクリーン、そしてゆったりシートを優先して、楽しむことにします

映画館で見ると臨場感あって何より集中できます。映画館が大好き!なので、これからも通います。

音楽は健在、新作は聞いたことあると思ったらハミルトン

音楽が名作すぎる作品なので、これも賛否両論分かれるでしょう。

ハリー・ベイリーが歌うアリエルの「Part of your world」は確かに良かったです。素晴らしい透明性のある歌声です。ただ、技術散りばめつつ、サビで苦しそうに歌うところが成人っぽくて、少女感失われてしまうのですよね。難しい!欲張らないことにします。拍手を送ります!

旧作の技術未熟な少女感。当時、どうやってこんな逸材を見つけてきたのでしょう。そっちが気になってきました。

オープニングのお姉さんたちの歌はカットされ、有名なセバスチャンが歌う「Under the Sea」は海の生物が奏でるというよりは、踊ってたっていう印象です。

旧作アニメ版の「Under the Sea」は、景色の美しさではなくて、そこに住んでいる仲間にフォーカスされているんですよね。みんなで音楽を奏でている一体感、アニメでないと難しいですね。

そして、鳥のスカットルがラップで歌い始めて、このリズム聞いたことあるぞ・・・ハミルトンぽいなあと思ってエンドロールを見ていたら、「ハミルトン」楽曲を手掛けたリン=マニュエル・ミランダの名前が!もうあのリズムでブランディング出来てますね。このリズムは彼の看板です。(ハミルトンはブロードウェイを観にいったほど大好きなので、また別の機会にブログを書いてみようかと思います)

何も情報入れずに見にって、最後のエンドロール見ながら、ああ!あの人か!って発見するのが私の映画の楽しみ方なんです。

まとめ:実写版とは別作品、アニメを見直そう

色々と思ったことをつらつら書きましたが、楽しんだことは楽しみました。見たことは後悔してません。

ただ、依然としてアニメ版の完成度が高いことは実感できました。実写版はまた別物です。それはそれ、これはこれ、比べてはいけない作品です。

こんなにハードルが高い中、果敢にチャレンジすることが素晴らしい!と思えているわけでは正直ないですが、これだけ話題になって、これだけ興行成績を生むのですから、ディズニーとしても方針は間違っていないのでしょうね。これだけ私みたいに、ワーワー言うムーブメントも作っているわけですからw  これをきっかけに、アニメ版も見る人増えるでしょうから、一石二鳥です。

でも、良いものは良い。旧作アニメ版はディズニーチャンネルに入らずともYouTubeで見られるので是非レンタルしてみてください。改めて見るとわかりますが、無駄なく、楽しく、軽快に作られています!実写版しか見ていない人にも是非見てもらいたいです。あとアニメっていいなあ、絵本みたいだなあ、とシンプルに楽しめます。

そして、自分が幼い時に見た際はアリエル目線でしたが、気がつけばトリトン側になっており、大人は最後号泣すること間違いなしです。

https://youtu.be/1m428N5QSBE

そういえば、実写版のラストシーンは、なぜあれなんでしょう?尻切れとんぼ感のある映像だったんですよね。どういう意図だったのか監督ロブ・マーシャルに聞いてみたいところです。

今日もUp where they run〜と口ずさみながら過ごしてます。結局、リトル・マーメイド見てご機嫌です。

最後にゴシップYouTubeですが、違いが分かる動画ではあるので、こちらをどうぞ。